●「むすんでひらいて」の不思議
　生まれて初めてのギターというものを、中学生時代に手に入れた。
　音楽に興味を持っていた少年はもちろん、そうでない人も含めて、僕らの時代から後の平均的なギター入手時期は、だいたいそのあたりではないだろうか。
　僕の最初のギターは、母親が人づてに頼んでもらってきたセコハンだった。
　ギターをやり始めたのには、理由があった。中学１年での大病で大好きな管楽器にドクターストップがかかったこと。病床生活の退屈をまぎらわせるのに、やっぱり音楽的な刺激がほしかったこともあった。
　時間はありあまるほどあったのに、かつてのハーモニカ少年はせっかちだった。ギター教則本のイロハからというのももどかしく、母親に頼んでどこからか「例の名曲」の楽譜を手に入れ、さっさと練習した。数カ月のブラスバンド経験で、ほんの少しだけ楽譜アレルギーでなくなっていたので、ネチネチと１音づつ音をさがした。ハーモニカ少年らしく、チューニング（ギターの６弦を指定の音に合わせること）は、もちろんハーモニカでする。
　チャック・ベリーやウェス・モンゴメリー、バーデン・パウウェルやパコ・デ・ルシアなんていう名手の存在も知らず、ましてビートルズやポール・サイモンなど登場する前だったから（あるいは知らなかっただけかも）、ギターの名曲といったら３曲ぐらいしか知らなかった。そう、イントロ（前奏）がカッコいい「湯の町エレジー」や「酒は涙かため息か」などの日本の歌謡曲。こういうのは、「ブカブカブーブー」とハーモニカでもやっていたので、とっつきやすい。しかし、思春期を迎えたカッコつけ少年には、どうも気恥ずかしさが先にくる。となれば、もうあの１曲しかない。「禁じられた遊び」だ。
　毎回、１小節か２小節程度ではあっても、これが確実に進んでいく。理由は明白。ギターの楽譜には、弦を弾く方の右手の指は番号で指示されているし、左手の指でどこを押さえればいいのかも表示されている。
　１番というのかどうかは知らないが、Ｅマイナーで弾く最初のテーマの終わりまでは、１週間もかからずに弾けるようになった。もっとも、Ｅマイナーなどというコード名を知ったのはちょっと後のことだ。
　さて、「禁じられた遊び」の最初のテーマが弾けるようになっても、僕がギター少年になることはなかった。いたれりつくせりの親切な表示があるし、多少は慣れたといっても、やはり楽譜という記号を見ながらやる音楽は疲れる。ハーモニカ少年の感性には、どうもなじまないのだ。
　とっとと勝手にやりたい。これがハーモニカ少年の流儀だ。
　高校に入ってしばらくたった頃、いつの間にか世の中がフォークソングであふれていることに気がついた。
　そして、フォークソングで弾いている人たちのギターというのが、ただひたすら「ジャンジャカジャカジャカ」と聞こえ、ややホコリをかぶりかけたギターをひっぱり出した。
　ようく考えてみると、「ジャンジャカジャカジャカ」は「ブカブカブーブー」に共通するものがあると思えた。
　メジャーの曲（長調）の基本として、三つのコードをおぼえた。「Ｃ」と「Ｆ」と「Ｇセブンス」である。この三つがあれば、メジャーの曲はひと通り弾ける。「メリーさんの羊」も「十人のインディアン」も「かもめの水兵さん」も弾ける。
　一方、マイナーの曲（短調）の基本は、「Ａマイナー」と「Ｄマイナー」と「Ｅセブンス」があればいい、ということも知った。
　ここから「ジャンジャカジャカジャカ」は、縦横無尽に活躍することとなった。「湯の町エレジー」も「酒は涙かため息か」も、この「Ａマイナー」を基本とした３コードで、いともカンタンに伴奏できることを知った。
　ハーモニカ少年の歌心は大いにうずいて、「Ｃ」で始まる曲（あるいは、始められる曲）、「Ａマイナー」で始まる曲（始められる曲）探しがはじまった。
　再び、あの「歌える曲が弾ける（吹ける）曲」という、黄金の日々がスタートした。ただし、今度の黄金期は、ギターという楽器には伴奏を、メロディーラインは歌で、という新しい展開だった。
　慣れてしまえばもうこっちのもので、メジャーコードの３つとマイナーコードの３つの合わせて６つのコードで、あらかたの歌の伴奏はできるようになる。
　さあ、レパートリーをふやそうと意気込んで、今度は童謡ではなくポピュラー歌集を買う。ジョーン・バエズやピーター・ポール＆マリー、ボブ・ディランなどのカッコいい歌がしこたま入った曲集だ。聞いた曲は弾ける曲という、かつてのハーモニカ少年のノリが再びよみがえるビッグチャンスである。
　ところが、実際に曲集を開いてみると、なかなか「Ｃ」や「Ａマイナー」で始まる曲にめぐりあわない。メジャーの曲は「Ｆ」で始まっていたり、「Ｄ」や「Ａ」で始まっていたりする。マイナーの曲は「Ｄマイナー」や「Ｅマイナー」、「Ｇマイナー」で始まったりする。
　やっぱり、学校でする音楽と同様、こういう音楽もムズカシいものだ、と思った。もちろん、そんなことではかつてのハーモニカ少年はへこたれない。
　ギターで弾くのは、知っている、あるいは聞いたことのある曲だから、たとえばマイナーの曲であれば「Ａマイナー」と「Ｄマイナー」と「Ｅセブンス」を駆使して、さっさと伴奏し、歌ってしまう。メジャーの曲だって、同じようにやってしまえばすむ。自分勝手流お手軽移調システムである。
　ある日、メジャーコードだったか、マイナーコードだったか、何かの曲をいつものように気持ちよく歌っていると、ふと、楽譜のある１小節に目がとまった。それが何の曲で、何のコードだったかはおぼえていない。ただ、すごくシンプルな歌で、もちろんシンプルなコード進行で、４拍の２小節に１度程度しかコードが変わらない（つまりＣのコードで２小節、Ｆのコードで２小節というような・・・・）曲なのに、ある１小節で連続して３回もコードが変わっている場面に出くわしたのだ。ちょうどこれから歌のサビの部分が始まるゾ、という場所でのことだった。
　ちょっと、これについては知りたいゾ、と思った。仕方がないから、楽譜にある通りのコードを追って、それまで知らなかった面倒な指押さえを左手でして、その問題の場所まで行き着いた。
　ここでちょっと説明がいる。ギターをやったことのある人なら知っているが「Ｃ」で始まるメジャーの曲の中で、いちばんやっかいなのが「Ｆ」というコードを押さえる左手の働きだ。
　これも後で知ったことだが、ギターコードでいちばんの初心者泣かせは、「Ｆ」などに代表されるいわゆる「バレーコード」と呼ばれるものだ。「バレーコード」といっても、そのコードを押さえる時に急に踊り出したりすることでは、もちろんない。弦を押さえる左手の人差し指が６本の弦すべてを一列に押さえてしまい、残りの３本または２本も、それぞれに活躍させなくてはならない至難のワザなのである。習いたての人は、大抵これで指がつる。
　で、僕が出くわしたのは、そんなバレーコードによる、こんな展開だった。「Ｇ→Ｆ＃→Ｆ」。
　もちろん「Ｆ」は知っている。それから「Ｇ」は「Ｇセブンス」をおぼえたときのオマケで１タイプだけは知っていた。問題なのは「Ｆ＃」というコードだ。
　ちょうどその頃は、僕が「マママママママママー」のピアノに四苦八苦していた時期だった。ただでさえ、楽譜ギライの僕が、「ドレミファソファミレド」をピアノの鍵盤上で、どう半音移動させるかに悩まされていた時期である。
　ギター譜は、その点なんとも親切なのだった。ようく見ると、僕の知っている唯一のバレーコード「Ｆ」をそのまま半音高くしたのが「Ｆ＃」だと書いてある。つまり、苦労して獲得した「Ｆ」の指押さえのカタチが、そのまま「Ｆ＃」でも使えるのである。ものは試し、そのままさらにもう半音「Ｆ」のコードの指押さえをズラしてみた。すると、なんと別のカタチで弾いていた「Ｇ」の音が出たのである。「音楽って、こんなにもカンタンなものなんだ！」という実感がわいいてくるできごとだった。
　ところで、ちょっとハナシは変わるが、日本人ならだれでも知っているあの童謡「むすんでひらいて」は、ひょっとするとギターをやったことのある人には最大の難曲のひとつではないかいなと、僕は思っている。
　試しに、「Ｃ」コードからギターを弾きながら歌いはじめてほしい。「Ｃ」からはじめて何度か「Ｇセブンス」や「Ｆ」を使い、そして歌の最後になる。「その手を上に」と歌うときには、ギターのコードは間違いなく「Ｇセブンス」になっている。で、やってみると、これが終わらない。「ジャンジャカジャーン」と終われない。まるで、先進国首脳会議（蔵相会議だっけ？）Ｇ７のように結論が出ない。「その手を上に」と歌い終わっても、ついつい、あたまの「Ｃ」が弾きたくなる気分なのだ。「Ｇセブンス」なんかじゃ終わらないゾ、という音楽や歌の気分を初めて教えてくれたのは、ギターだったと思う。歌の終止感は、やっぱり楽器をやったことのある人とない人では、ちょっと違いがあるのではないだろうか。
　そして、ついでにいうと、学校の音楽ではこういうことは決して教えてくれはしなかった。
　　　　　〜　次号につづく　〜