十代の頃、テレビの洋画で見たシーンはまだ憶えている。フランスの三文映画で、確かモノクロだった。薄暗い地下室のような場所で美女が壁にはりつけにされていて、部屋の中央にはグルグルと柱が回転する仕掛け。その回転の輪はだんだんと膨らんでいくのだが、なんと先端には刃物がついているのだった。ゆっくりと一回りするたびに接近する切っ先と美女の阿鼻叫喚。もちろん、映像効果として女優は呼吸を荒げ、そのたびに胸の隆起が前後するのであった。さらにもちろん、「何もそこまでタイトに貼り付いた衣服でなくても」と呆れるほどのセクシーなセーターを着込んでいるのは、これまた呆れるほどゴージャスなグラマー女優である。で、ついには鋭利な第一刃がちょうど乳房の頂点近くをかすめると、はらほろひれとセーターが切り裂かれる。そのまま殺されやしないんだけれど、子供心に「あ〜、もったいない」と叫んでいた。
　手を変え品を変え、こうしたレイプもどき表現は繰り返されてきたのだが、名前も忘れたその作品が僕に提示したのは、女とは凹凸のある生き物である、ということだった。そして、「突起する乳房」はいつの時代も男たちの好奇の視線にさらされているのだということである。映画は、こうした女の「突起する肉体」に対して「突起する道具」の代表としての刃物を登場させることで、観る者を扇情せしめるのだった。刃物とは、何もフロイト流解釈なんぞを施さなくてもペニス的存在そのものである。
　　　　　　　　　　　　　　　　
　後年、高校時代に音楽部にやってきた教育実習生と何かの折にフォークダンスをする機会があって、豊満な彼女の胸が幾層かの下着やブラウスの擦過音をたてながら突起していて、その感触を僕は自分の胸で受けとめたのだった。後にも先にも、あれほど「突起する乳房」を意識したことはなかった。
　外出することさえ稀で、まして最後に満員電車に乗った経験は少なくとも10年以上も前だから、今はどうなのか知らないが、あの通勤電車もしくは満員電車が１年でいちばん困るのが、ちょうど５月から６月あたり、すなわち今頃のことだったと記憶する。なにしろ桜も終わり、梅雨直前までの薫風立つこの季節は、満員電車の多くの女たちに清涼感漂うシャツ姿が多くなり、車内のあちこちで乳房が突起しているようだった。まさに「突起する乳房」の季節なのであった。美しい女たちを眺めるのは快感だけれど、「突起した乳房」はやはりその質感を確かめたくなるのが当たり前の人間のサガであり、それがおいそれとはできない以上、「突起した乳房」とは「自制された理性」を試すために現れる過酷な試練でもあった。
　　　　　　　　　　　　　　　　
　ただし僕は、どうも生理的に群衆の中にいることに我慢が効かず、一瞥の幸福感の後には隣の乗客との距離感や背後の人物の気配に注意を奪われてしまうので、仮に車輌全部が「突起した乳房」だらけであっても、至福の境地にはなれなかっただろう。だいいちその空間は「きゃ〜痴漢！」と間違えられてもグ〜の音も出ないほどの劣悪環境なのだから。
　そういう意味で、満員の通勤電車に毎日乗っている「突起した乳房」たちはもちろん、気の毒なほど見返りのない「自制された理性」を試される男たちにも同情を禁じ得ないのだ。どこかの私鉄が女性専用車を一部で実現させているらしい。僕は大いに安堵の胸を撫で下ろすけれど、ずっとずっと「自制された理性」を試し続けられたオジサンたちには、ほんの一瞥の幸福感さえも味わえないご時世になったのかと思い気の毒でさえある。
　そんな原稿を書き終えた夜、テレビでルキノ・ヴィスコンティのドキュメント映画があり、「家族の肖像」中のセリフに再会した。きっと有名な文学からの引用なのだろう。
「美しいものを見たら追い掛けて抱きしめよ」
　情感的な文学の一言は、こうして僕のように「突起した乳房」への永久的な憧憬を植え付けて、理不尽にも置き去りにしてしまうのである。