２．

　Ｐ市役所市民生活課調査係からのリポート NO１
　調査日時＝１９９×年10月13日、午前10時48分
　調査場所＝Ｑ町３丁目45の２番カニエさん宅前の路上
　調査物＝Ｐ市ゴミ回収シール付きポリ袋
　調査物の数＝約20個（注：調査対象物の内容が重要で、その個数に関してはこの際検討 事項でないものと思われる）
　調査物の所有者＝前記現住所に在住のカニエ夫妻（注：ただし、カニエ夫人の夫が存在 するかどうか、今回の調査目的の対象外であり、未調査）
　調査の動機＝周辺住宅からのゴミ廃出量に比較し、量の突出と、内容物の異質性に注目 した。
　調査結果によって判明したこと＝ポリ袋内の物体の形状は球形。直径１cmから約８cmま での多様な大きさで、半透明という共通性の他、青、黄緑、オレンジ、ピンク、無色等、 色彩も多様。質感としては、調査員の子供の頃に硬貨を投入して出てくる玩具の自動販売 機（注：通称「ガチャガチャ」）のプラスティックケースの質感を持つ。ただし、この球 体は極めて脆く、婦女子の握力によっても容易に破壊が可能。また、この球体はカニエ夫 人の口腔内より発生し、発生当初は柔軟な質感を持っているにも関わらず、２〜３秒後に
は硬質化し、前述プラスティック様の硬質な物質となる。調査対象のカニエ夫人が廃出す るのは、カニエ夫人の口腔内より発生し、変化した物質であり、カニエ夫人本人の説明に よると「急性バブル硬化症」との医師の診断が既に下されている。尚、調査員が目撃した 約20個のＰ市ゴミ回収シール付き廃出物は、当該カニエ家で１日あたり平均10個というこ とである。
　備考欄＝Ｐ市職員として、本件に依ってカニエ夫人に何らかの困窮がないか確かめたと ころ、「口接の際に不便」という申し出があったが、調査員の職務と離れるところの問題 であったので、解決の方法論に関しては、これを敢えて指示しなかった。

　ダツは一つ大きな仕事をし終えた感じで、カニエ夫人が家の中に去った後の歩道の脇で 書き上げたリポートを読み返していた。珍しく、飛竜がポケットから這い出て来て、カニ エ夫人の固くなったシャボン玉と戯れていても気にならなかった。ただ一つダツの気にな っていたのは、カニエ夫人が「キッスができないわ」と言った事実を、「口接の不便」な どと表現してしまったことだ。
　さっきからしきりに飛竜がピンク色のシャボン玉にとぐろを巻き、ダツの足元まで運ぼ うとしている。
　飛竜がダツに告げた。
「オレは、キミの抱くアコガレだ」
　ダツは、ピンポン玉大の薄いブルーのシャボン玉とヒスイ色の飛竜をつまみ上げ、そっ とポケットにしまい込んだ。
　こうしてめでたく、Ｐ市役所市民生活課調査係としてのダツの初仕事が終わった。実際 には、このリポートを助役に提出しなければ終わったことにはならないが、そのためには ある程度リポートの分量を貯めなくてはならない。ま、しかし、リポートNO１はこれで完 了したことになる。
　昼食をとることさえも忘れて、ダツは調査係としての第一日目の巡回を夕方近くまで続 けた。

　二日目、三日目と過ぎていくうちに、ダツのリポートナンバーの数字は徐々に増え、一 週間も経った頃にはNO20を越えた。NO１ほどダツの興味を惹いた事例は現れなかったが、 それでもそこそこに調査係の仕事は面白い。
　Ｐ市役所市民生活課調査係からのリポート NO９
　調査日時＝１９９×年10月17日、午後２時37分
　調査場所＝Ｒ町１丁目20の５番ハタさん宅前
　調査物＝Ｐ市粗大ゴミ回収要請シール付きタンス
　調査物の数＝１体（注：通常タンスの計数単位は「棹」であるが、当該タンスの形状は 複雑で、「体」がふさわしいものと思われる）
　調査物の所有者＝前記現住所に在住のハタさん（注：粗大ゴミ回収要請シール上の表記 による）
　調査の動機＝ピンク、ゴールド、ブラック、グリーンの４色に塗装された色彩もさるこ とながら、タンスとして非常に稀有な形状を持っていること。また、そのような稀有な形 状のタンスが粗大ゴミとして廃出された事情に着目した。
　調査によって判明したこと＝当該タンスは極めて複雑な仕様を持ち、三次元的調査によ って初めてその全容が明らかになった。（注：前部引き出し数８、左側部引き出し数４、 右側部引き出し数６、後部引き出し数７、上部引き出し数４、底部引き出し数３）
　備考欄＝当該タンスの形状は確認できたが、果たして上部及び底部の引き出しがどのよ うに使われるものなのか、また使用が可能なのかは不明である。（注：玄関で呼び出しを 行なうも、応答なく、不在の様子）

　Ｐ市役所市民生活課調査係からのリポート NO17
　調査日時＝１９９×年10月19日、午後４時45分
　調査場所＝Ｓ町３丁目23の11番メダイさん宅の前庭
　調査物＝Ｐ市ゴミ回収シール付き不燃ゴミ（注：飲料入りビン）
　調査物の数＝８ケース（注：１ケース20本の１ 用ビンが収納され、総計１６０本の飲 料様液体入りビンが廃出待機中）
　調査物の所有者＝前記現住所に在住のメダイ氏
　調査の動機＝通常のゴミ回収では容器は空であるが、当該廃出物はすべて中身が充満し ており、廃出物として奇異である点。また、偶然在宅中の調査物所有者（注：前記現住所 に在住のメダイ氏）と面談する機会が得られ、その結果、調査物所有者は空のビンを購入 し、内容物を注入した上で廃出している点。以上の２点が調査対象として適宜と考えられ た。
　備考欄＝尚、当該調査物の内容に関しては、試飲の機会が得られ、コーラ様の極めて美 味かつ無害な飲料と判明した。ただし、当該調査物を所有者がなぜ廃棄するかについては 不明。

　ダツは、そろそろ助役への第一回のリポート提出を考え初めている。ただ、ほんの一週 間ばかりのリポートでは、まだまだ説得力に欠ける。それに、もう調査係の仕事はまるで ダツの天職のようにも思え、毎日五時の終業時間が来るのが残念でたまらない気持ちにさ えなっていた。リポートナンバーが五十件になったら提出しよう。ダツはダツらしくもな く目標を決め、考えてみるとそんな目標に向かって何かの作業をする経験は初めてだ、と 思った。
　一方で、ダツは、母親と二人で住む実家を出た。実家から徒歩で四、五分の場所にある 「ナガラミ荘」という鉄骨四階建のアパートに引っ越しをしたのだ。
　朝食もとらずに市役所に出掛けるダツに向かって、母親の非難がましい口調が日を追う ごとに厳しくなったのと、飛竜の棲息するズボンを何かの拍子に不意に洗濯機の中にでも 放り込まれたら、という不安がその理由だった。
　母親は、再び出て行く息子を嘆き、呪い、罵声を浴びせた。
　ナガラミ荘は一階で自動車修理場を経営するオーナーの持ち物で、二階以上の各フロア に二戸ずつだけのアパートで、鉄筋コンクリートの構造そのものに長年の自動車修理で発 生するオイルや鉄サビの臭いが染み込み、田舎町にありながらどこか懐かしい都会の臭い がするのだった。
　エレベーターのない最上階はどうやら不人気らしく、ここ数年入居者がいた形跡さえな かった。
　玄関を入ると小さなキッチンがあり、奥の窓側に二つの部屋が並んでいる。窓を開ける と、低層の住宅地の向こう側に小高い丘があって、その反対側斜面に例のホタテ貝がへば りついているはずだ。その丘を中心にＰ市は機能しているのであり、最初にこの部屋から の眺望を確認した時、ダツはＰ市役所市民生活課調査係という自分の身分に誇りさえ抱い た。
　実家が近いせいもあり、ダンボール五箱分ほどの荷物を運び入れただけで、ダツの引 っ越しは完了した。足りない物があれば、そのつど実家から運び込めばいい。 新しい住居を得たダツに、飛竜が言った。
「オレは、キミの塞がれた鼻腔だ」
　引っ越しから数週間が過ぎ、秋が深まり、朝、布団から出るのが少しずつ億劫になりか かってきた。それでもダツは、何かの使命に突き動かされるようにきっぱりと起き上がる と、飛竜の棲むズボンを履き、朝食もとらずに市役所に出掛ける。
　相変わらずフナムシ君は確認できなかったが、もうそれはどうでもいいことになってし まった。
　十一月十六日、四十八番目までのリポートを書き終えたダツは、その朝も自転車にただ 跨がったままホタテ貝の坂を駆け降りる。すでに最初の日に樹立した世界記録は、何度か の更新を重ねるうちに文房具屋兼タバコ屋兼日用雑貨品屋の前を三十メートルほど越えて いた。飛竜の棲むポケットとは反対側に黄色のチョークを忍ばせ、記録更新の際にはこっ そりと目印をつけておいた。電柱の裏側、ときには商店の看板の端という場合もある。 記録更新のためには、ダツは自宅からわざわざオイルを持参し、車軸に注入したほどだ。
今では以前のような油切れの音がしなくなった替わりに、シャー、とスポークの擦れる 音がまるでエンジンのように聞こえている。
　どういう訳かすっかり線路向こうが気に入ってしまったダツは、今日も最初から行く先 を決めていた。
　急性バブル硬化症のカニエ夫人の家の前を通過し、さらに南に進む。道路は一旦途切れ た住宅街を抜け田園風景の中に入るが、三分ほどですぐに別の住宅街へとダツを導く。
　家々の外装がすべて青く統一されたその町の名がＺ町だということは、すでにＰ市の地 図で調べている。少し剥げかかったペンキの青と秋の枯れ葉の黄褐色が、余計に寒々とし た視界を広げる。パステルのようなその青はどこか安っぽく、ダツは自分の好みの色では ないと思った。
　自転車がほとんど停止してしまうほどのスピードでダツが進んでいくと、三軒目の家の 庭が異様に光っているのが見えた。ガラスのように透明な三十センチ角ほどの塊が、家の 庭に山積みされ、一部は道路すれすれにまで迫っている。よく見るとその透明な物体はか すかに黄緑色に染まっていて、背景となった家の青が保護色になって色を感じさせないの だと分かった。庭の道路寄りに山積みされた一部が崩れているところがあって、目を凝ら すと何かに型取りされたような美しい楕円形をしている。別の場所のガラスの塊はきちん
とレンガ状の四角形で、その分積み上げるのに適しているに違いない。門柱の表札を見る と、サワラという文字がある。ダツは玄関前まで進みチャイムを鳴らした。
　インターフォンの若い女の声が応答し、ダツは市役所市民生活課から来た調査係だと答 えた。
「お母様あるいはお父様はご在宅でしょうか」
「いいえ、二人とも外出して夜まで帰りません」
　若い女の声が答えた。
「お庭に積んであるガラスのような物について、少しお話を伺いたいのですが」
　若い女はインターフォンの向こうでしばらく沈黙し、やがて「分かりました」と言って 切った。
　青い玄関ドアが静かに開き、霞んだような薄いブルーのセーターと同じ色の長いスカー トを履いた若い女が現れた。カニエ夫人ほど肉感的ではないにしろ、透き通るように白い 膚と青い血管が浮き出るような首筋に、ダツは目を奪われた。セーターの色よりもずっと 濃いダークブルーの長い髪が白い首の後ろで束ねられている。
「あの、サワラさんのお嬢さんですか？」
　ダツはしどろもどろになりながら尋ねた。
「はい、サヨリと言います」
　二十歳ほどに見える娘の名前をサヨリと知ったことが、まるでそれまでの市民のどんな 奇妙な事実を発見した時よりも大きな驚きのような気がした。人は、見知らぬ若く美しい 女の名前を、直接その口から伝えられることなど滅多にない。
「市役所市民生活課調査係のダツと言います」
　インターフォンですでに告げたことを、もう一度ダツは繰り返した。
「で、この透明なガラスのような物の件なのですが」
　その瞬間、さっきのインターフォンでの短い沈黙の意味が察せられるほど、サヨリの顔 色が変わった。
「そのことはお話したくありません。どうしても話さなくてはならないんでしょうか」
　サヨリの紺色の瞳の周りの白目が広がった。
「どういうことでしょう。ただの調査なので、ご協力いただけると大変ありがたいのです が」
　サヨリの事情がどうであれ、市役所市民生活課の調査係として、ダツは聞き出さねばな らない気持ちになっていた。
「市民生活課の調査係の方にお話ししたら、私たちに何かの罰則がくだされたり、このエ メラルドたちの処分費を出せと言われるのではないですか？」
　サヨリは青く霞んだ声の早口で言った。
「とんでもありません、サヨリさん」
　ダツは若い女の名前を口にすることで親近感を抱かせようと意識した。
「ぼくは一介の調査係でしかありませんし、なにも法的な処分の対象にしようなどとは考 えてもいないのです。ただ、Ｐ市の市民生活の実態を調査して、自分なりに目についたこ と、気になった点を、市役所の上役にリポートしようというだけなのです。ですから、エ メラルドとサヨリさんがおっしゃるこのガラス状の物が、万が一仮にひどく有害な物質で あったとしても、ぼくにはその排除勧告も、廃棄命令も、何もできないのです。ぼくの仕 事は、その事実をただリポートすることだけなのです」
　こんなにも熱心にダツが他人に語りかけたのは、多分初めてだった。ダツはしゃべりな がら自分の体温が上がるのが分かった。ズボンの右ポケットに棲む飛竜にも、ダツの体温 上昇が伝わったのか、しゃべっている間にモゾモゾと動き出す。ポケットの口からヒスイ 色の頭を出した飛竜をサヨリが見つけた。
「まあ、なんて美しい蛇。あなたが飼っていらっしゃるの？」
「ええ、飼っていると言うより、この蛇、飛竜という名前なのですが、ぼくの体温かある いはズボンに染みついた体臭に同調してしまったのです」
「飛竜というのね。いらっしゃい、さあ飛竜」
　サヨリが白い手を差し出すと、飛竜はダツのポケットから全身を現わし、スルスルとサ ヨリの腕に絡みついていく。何年も見慣れている飛竜の姿なのに、サヨリの白い腕にへば りつく飛竜は美しく、出会った最初の夜のアクセサリーのような光沢を見せている。少な くともダツの目の前で、飛竜がダツ以外の人間に慣れた様子を見せたのは初めてだった。
「ところで、このエメラルドとおっしゃる物についてなのですが」
　ダツは再び調査係の職務に戻った。
「あっ」と小さい叫び声を上げたのはサヨリで、剥き出しの腕に絡まっていた飛竜が青い セーターの袖口から中に入り、胸の辺りにその小さなシルエットが透けている。 サヨリが苦笑を浮かべながら、身を捩って飛竜を捕まえやすい場所に移動させようとす る。
「困った子ね」と言うサヨリには、まだ余裕がある。ダツは直接手が出せなくて、ただ傍 観しているほかない。
「あ、すみません、飛竜のヤツ。でも、このエメラルドのことなのですが」
　サヨリの乳房あたりから今度は腹へ、腹から脇腹へ、脇腹から背中へ、飛竜の動きにつ れて、それを捕まえようとするサヨリがまるでダンサーのように滑らかに身をくねらせ、 それにひきかえただ直立しているだけのダツ自身が滑稽な存在にも思えた。
「エメラルド、エメラルド症候群です」
　吐く息を荒げながら、サヨリが途切れ途切れに答えた。
「エメラルド症候群？何ですか、エメラルド症候群って」
　サヨリの青い着衣の中に侵入した飛竜は、どうやら本格的に快適な居場所を捜している らしく、背中の方から今度はスカートの中に入り込んでしまったようだ。
「まあ、ダツさん、困った子、この子を出してきますから、ちょっとの間ここで待ってい てください」
　サヨリはダツに笑いながらそう言うと、青い玄関ドアを開けて家の中に入ってしまおう とする。
「困ります、サヨリさん。飛竜はぼくの大事なヤツで」
　ダツが言いかけると、サヨリが今度は青い目を怒らせて言う。
「じゃ、こんな表で、ワタシに裸になれっておっしゃるのですか」
「でも、飛竜が心配なのです」
「それじゃ、玄関に入ってお待ちになれば！」